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いよいよ桜の季節がやってきた。

スキマ時間を見つけて、桜を見ようとバイクでふらっと散歩に出かけてみたときのできごと。

家を出て10分ほど。ぼくは片側2車線のバイパスで信号待ちしていた。車線は左側。
ぼくの前には数台のクルマが、同じく信号が青になるのを待っている。

信号が青になった。
けれど、数台前方で信号待ちをしていた1台が動き出さない。
故障でもしたのかな、と思い、止まったまま様子を窺う。
周囲のクルマは、そのクルマをよけるように走り去っていく。

すると、そのクルマの運転席ドアが開いて、ご婦人が道路に出てきた。
走り去る周囲のクルマに向けて、手を振ってなにか訴えているようだ。

ぼくは、バイクを降りてそのご婦人のところまで歩いていき、声をかけてみた。
「どうされましたか?」
すると、そのご婦人は、
「△Xにはどう行けばいいの?」と尋ねてきた。
どうやら故障ではなく、道に迷ってしまったらしい。
△Xまでの距離は、決して近くはない。100km弱はあろうかという距離だ。

とにかく、道路のまんなかに止まったままではなにかと危ないので、困っているご婦人に助手席に座ってもらい、交差点を曲がってすぐの、邪魔にならないバス停スペースにクルマを移動した。

とりあえず安全な場所に移動したので、あらためて話を聞いてみる。
しかし、先ほどと同様、「△Xに戻るにはどうすればいいの?」という内容が繰り返されるばかり。
お名前や住所を尋ねても、いまひとつ要領を得ない。
このご婦人、いわゆる認知症のようなものを患っているのかもしれない。
道を教えたところで、このままひとりで運転して無事に帰り着くことができるかどうか、不安が残る。

ぼくは、近くの交番に電話することにした。
簡単に事情を説明し、現在地を伝えて、警察の到着を待つ。

到着を待つ間、ご婦人はいよいよ不安になったらしく、涙を流して「困った、困った」を繰り返した。
「いま、おまわりさんを呼んだから安心してくださいね!」と話しかけたりして、なんとか落ち着いてもらおうとしながら、パトカーの到着を待った。
話しているうちに、ご自分の氏名や連絡先が記してあるメモ帳をお持ちになっているのがわかった。
これさえあれば一安心だろう。

しばらく経って、2台のパトカーに分乗した警察の方が5、6人到着した。
一連の経緯を説明したり、自分の身分証や氏名、連絡先を聞かれている間に、他の警察官はご婦人をなだめたり、早速、ご家族に連絡の電話を入れたりしていた。

おそらく、一旦警察署で保護しながらご家族に迎えにきてもらうことになるでしょう、とのことだった。
本人は一刻も早く帰りたかったようだけれど、一人で運転して帰るのはどう考えても無理がありそうな状況だったから仕方がない。
とにかく、事故に遭うことがなくてよかった。
その後は警察の方々にお任せすることにして、ぼくはその場を後にした。

そんなわけで、花見どころではなくなってしまったバイク散歩だったけれど、こういうケースに初めて遭遇して、やっぱり、いろいろと考えさせられてしまった。

自分ももはや決して若いとはいえない年齢になってきた。
いつ、自分が当事者になってもおかしくはない。

これからの時代、いろいろな「技術」がサポート、解決していくことも多々あるだろう。
けれども、生身の人間同士がいかに自然にあたりまえに支えあえるか、という倫理感のほうがキーになるような気がする。

少なくとも今回のようなケースでは、「AI」や「自動運転」の技術が貢献できることは、残念ながらほとんどないだろうなぁ。
いや、ぼくが想像できないだけで、なにか思いもよらないような画期的なソリューションがあるのかもしれないけれど。