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我が家のそばには、一人暮らしのおばあさんが住んでいる。

もう半年以上も前のことだろうか。ある日の夜、僕が家に帰ってくると、そのおばあさんの家にはいつもと違うクルマが駐めてあった。
エンジンがかかったままで、ヘッドライトも点いている。
ちょっとヘンだな、と思ったのは、その夜は晴れていたにも関わらず、ワイパーまで動いていることだった。
訝しく思いつつ一旦家の中に入るも、なんだか気になる。
しばらく経ってからもう一度玄関を出てそのお宅に目をやると、やはりそのクルマは先ほどと同様、ライトもワイパーもついたまま駐車場に駐まったままだった。

そこで僕はそのクルマに近寄り、中をのぞきこんでみた。
運転席には、そこに住むおばあさんが座っていた。
僕は運転席の窓をノックして、「どうかされましたか?」と、おばあさんに話しかけてみた。
おばあさん曰く、車検のために自分のクルマをディーラーに預け、代車を借りて乗って帰ってきたまではよかったのだが、エンジンを止めることができなくてとても困っているところだった、と。
さっきからディーラーに何度も電話して操作のしかたを教えてもらっているのだが、どうしてもわからなくて途方に暮れていたのだそうだ。

なるほど、そのクルマはベーシックカーとはいえ最新のモデルだった。
普段おばあさんが乗っているのは、車種は同じでも二世代くらい前のモデルだ。

僕はおばあさんに代わって、運転席に座った。
セレクターレバーが「D」のままだった。
さらに、(いま流行りの?)エンジンSTART/STOPボタンは、ドライバー視点からだとちょうどワイパーレバーの陰に隠れて見えづらい位置にあった。
ちなみにもちろん、普段のおばあさんのクルマは、昔ながらの「カギ」方式のイグニッションキーだ。

きっと、電話でSTART/STOPボタンの位置をおしえてもらいながらあれこれやっているうちに、手前のワイパーレバーに触ってしまったのだろう。

僕は、ひとまずワイパーを止め、セレクタレバーを「P」の位置にセットし、とても見えづらい位置にあるSTART/STOPボタンを押して、そのクルマのエンジンを止めた。

そして、おばあさんに一連の操作のしかたを説明し、何度か練習してもらってから家に戻ったのだった。キーレスエントリーを使ったドアロックの施錠/解除の方法も念入りに説明しておいた。

僕自身、所有しているクルマは旧式のものばかりなので、おばあさんの気持ちがすごくよくわかった。
代車を貸してくれたディーラーは、きっと、「親切心」で、貸し出す時にはエンジンをかけてくれていたのだろう。乗ったらすぐに走り出せるように。
でも、はたして「クルマの止めかた」までしっかりおしえてくれていたか、ちょっと疑問も残る。

で、そんな出来事もすっかり忘れていた先日のとある日、突然、我が家のチャイムが鳴った。
(突然鳴らないチャイムはないけれど。)
いつぞやの、そのおばあさんだった。
話を聞くと、また、クルマの操作がわからないという。
僕はさっそく家を出て、おばあさんとクルマまで歩いた。

今度は、ちょっとした修理のためにまた代車を借りてきたそうなのだが、こんどは「カギ」が抜けなくて困っているとのこと。
今回の代車は、さほど新しくもないクルマだけど、メーカーが違っていた。
また失礼して運転席に座らせてもらうと、たしかにそのクルマは昔ながらの「カギ」がステアリングコラムに刺さっていた。
ただし、これは「OFF」の位置から「LOCK」の位置に回すときに、カギを奥に押し込みながら回さなければならないタイプのものだった。
当然ながらおばあさんはそんなこととはつゆ知らず、「OFF」の位置でカギを抜こうと悪戦苦闘していたのだった。
あっさり解決してよかった。

と、こんな出来事があったわけだけれど、「技術の進化」とか「先進装備」って、いったいなんなんだよ、と、ちょっとひとりでイラッときてしまった。

物好きな「クルマ好き」が喜ぶような車種に、「先進ギミック」を満載することに対してはまったく否定しない。だけど、ベーシックカーが必要とする技術は、やっぱりそれらとはちょっと違った視点で考えなければならないのではないだろうか。
もちろん、クルマという危険で便利な乗りものを運転する以上、最低限、操作に習熟しようとする努力や姿勢は必要だけれど、「作る側の都合」としか感じられないもの、本当に使う人間のことを考えて設計されたとは思えないものが、身の回りにどんどんどんどん増えてきてはいないだろうか。
そして、人々は、それらに振り回されつつあるのではないだろうか。

いまや、クルマの内部はあらゆる機能がネットワーク化され、電子化され、様々な意味で「つながって」いるシステムになりつつある。自動ブレーキやらレーンアシストやらなにやら、その分野に詳しい人間でなければ到底そのしくみが理解できないであろう「安全装備」も花盛りだ。

だけど、このおばあさんの一件のようなケースを目の当たりにすると、やっぱり個人的にはクエスチョンだ。

人間が使う道具は、やっぱり、プリミティブでシンプルな操作で機能するものでなければならないと思う。直感的に、マニュアルなどなくてもどう操作すればよいのか容易にイメージできて、かつそれが自然に覚えられて間違わないもの。

紛らわしくて直感的に操作のしかたがわからないものは、クルマに限ったことではなく、枚挙にいとまがない。
たとえば、よく食堂などに設置されている給茶機のボタンも嫌いだ。
ちょんと一回ボタンを押せば「適量」が注がれるのか、それとも、ボタンを押している間だけ注がれるのか、まったく判別できない。こういうのは悪い設計の見本だと思う。
そして、こういった「設計コンセプトがダメな機械」には、結局やがて「XXを〇〇してください」とか、「△は◆にしないでください」とか、注意書きの紙がにぎやかに貼られていくことになる。
どんなに気取ったデザインにしても、これではいけない。

冒頭の写真は、我がパンダ号の「カギ」だ。シンプル極まりない。
ご存知の通り「先進機能」など何一つ装備されていないし、どことも何とも「つながって」ない四半世紀も前のクルマだ。
だけど、僕は、このクルマに何一つ、足りないと感じるものはないし、シンプルな操作方法にも満足している。