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今日は半日ほど薪割りに精を出した。
薪割りするのは久しぶりなので、肩慣らしに杉の木から始めたのだが、柔らかいからスパスパ割れて気分爽快だった。
こんなふうに、今日をおだやかに過ごすことができて、ぼくはとても幸せだ。

6年まえの今日、誰もが忘れられないあの震災が起きた。
その日は、ちょうど出張先のドイツから帰国する日だった。
朝、ドイツの空港に向かう直前に日本で地震があったことを聞いて、不安な気持ちになったことを覚えている。
乗り継ぎのウィーン空港で、あの名取川河口周辺の津波の映像が無音で流れているのを見た。
何が起きているのかよく理解できないまま、成田に向かう飛行機は2時間遅れで僕を乗せてウィーンを飛び立った。

日本に到着したのは、3月12日の早朝だった。
当然のことながら、交通機関は全てストップしていた。

まる一日かけて千葉の柏までたどりついたものの、その日はそれ以上移動することはできず、交番に駆け込んで、公民館のようなところで一夜を過ごさせていただいた。

その時点の柏市は、いつもと変わらぬようすだった。近くの居酒屋で夕飯を済ませた。
携帯電話やメールはほとんど使いものにならなかったが、一度だけえい坊と電話することができた。
テレビからは、目を覆いたくなるような東北各地の被害のようすが延々と映し出されていた。
 
翌朝、つまり3月13日の朝、柏駅からタクシーに乗り、まる一日かけていわきの我が家に帰ってきた。
我が家に着いたのは、20時ごろだったような気がする。
あのときの親切な運転手さん、ほんとうにありがとうございました。

幸いなことに我が家は家、家族ともに被害はなかったものの、僕の住むいわき市では400名以上の方々が犠牲となった。
主に津波によるものだが、津波の被害というものを初めて自分で目の当たりにしたときは本当に言葉を失った。
そんな惨状を、えもいわれぬ複雑な気持ちで撮った写真たち。
https://www.facebook.com/kengo.watanabe.393/media_set?set=a.185624354814910.39697.100001020417658&type=3&l=6d03d458d5

今日は、そんな写真を見たり、当時書いた記事を読み返したりしながら、日々繰り返される日常の中で忘れかけていることや忘れかけている感情たちを思い出してみている。

生きていられるというのは、しあわせなことだ。