我が家の完成見学会が18日、無事、おわりました。
予想に反して、とてもたくさんの方々に足を運んでいただきました。
びっくりするやらうれしいやらで、あっという間に一日が過ぎてしまいました。
ちびっこ軍団から若いカップル、年配のご夫婦まで、老若男女、あらゆる世代の方々の感想を耳にすることができ、非常に面白く、とても勉強になりました。
ありがとうございます。
来ていただいた方はお気づきになったと思いますが、我が家のつくりには、危なっかしいところが何ヶ所もあります。落っこちそうな場所、割っちゃいそうな大きなガラス窓、触ると熱~い薪ストーブなどなど・・・。
そのため、お子さんを連れていらっしゃった方々には,非常にヒヤヒヤさせてしまったことと思います。
ここにそっとお詫びいたします。
たしかに、以前から、
「ここ、落っこちそう・・・。怖い。落ちたらどうするの?」
「この階段、手すりがないの!?落ちない?将来、タイヘンだよ~!」
「このガラス、コドモがぶつかって割りそう・・・。あぶないねぇ・・・。」
「薪ストーブって、触るとヤケドするんでしょ?危なくない?」
などといったことを(とくに身内から)言われておりました。
どれもこれもその通り、ご指摘、ごもっともです。
しかし、いまのところ、我々夫婦は二人暮らし。まだコドモはいません。
幸い、まだ足腰にも支障はなく、階段も楽に上り下りできます。
いちおう、オトナなので、二階から飛び降りようとしたりも、たぶん、しないと思います。
薪ストーブは熱いので、ヤケドしないようにと皮の手袋も買いました。
ですから、当面は、このままでもだいじょうぶです。
いまの我が家のこの状態は、あくまでも「いまのわたしたち」が、もっとも暮らしやすいように、楽しく暮らせるようにつくってもらったものなので、いまは、「とりあえず」、こういうカタチをしています。
これは、私たち二人の「いま」が100%反映されたものなのです。
ですから、ちびっこや高齢者への配慮という面では、だいぶ、欠けているところがあります。というか、ほぼ配慮していません。
いま、心配しなくていいことに対して必要以上に心配するのは、個人的には好きではありませんし、ましてやそれを心配するあまり、「いま」を犠牲にするのは、本末転倒だというふうに私は思います。
(といっても、あくまでこれはごく限定されたことがらに関する考え方であって、対象となる事柄が違えば、当然、その考え方も変わります。たとえば、環境問題などといった社会的な問題に関しては、この限りではないことは明白ですね。念のため。)
「子を持つ親の気持ち」は、実際に親になってみなければ絶対にわかりませんし、年をとって足腰が弱ったときの日常生活の大変さも、自分がそういう体験をしてみなければわかりません。
だから、すごくいい加減な言い方ですが、家という「暮らしを営む器」は、「そのときどきの状況に応じて、「くふう」して変えていけばいい」のだというふうに思います。
もし将来、自分たちを取りまく環境が変わり、暮らし方が変われば、それに合わせて、この家も変えていけばいいのです。くふうのしがいがある家って、楽しそうです。
これから私たちの暮らしがどう変わっていくのか、とても楽しみですが、まったく予想はできません。
予想ができないからこそ、人生は面白いのかもしれません。
我が家の設計の最初期、まだ何もわからないときに私が最初に設計者にリクエストしたのは、「いい意味で未完成な家に」ということでした。住む人間と一緒に変わっていける家に、と考えたからでした。
ですから、いまは、これでいいと思っています。
でもフシギです。
来てくれたちびっこたちはみんな、ずいぶんこの「危ない家」がお気に入りの様子で、我が家に入ったちびっこたちはみんな、なんだかとても楽しそうにおおはしゃぎしていたような気がします・・・。
写真のおんなのこ、階段をつくえ代わりにして、ちょこんと座って本棚に置いてあった絵本を読んでいます。
「あぁ、こういう使いかたもあるんだ!」と、いたく感心してしまいました。
オトナの目から見れば、一見、手すりもなく危なっかしい階段ですが、ちびっこは誰に教えられるでもなく自分でみごとに使い方をくふうしています。
こどもってすごい!と心から思いました。
さきほども書きましたが、私たち夫婦にはまだこどもがいません。
だから、なにもエラソーなことは言えないのですが、なんでもかんでも「危ない危ない」といって、こどもたちの身の回りからひたすらに危険を排除することが果たして彼らのためになるのでしょうか。
危険なことを危険だ、ときちんとこどもに認識させるためにも、多少の危険(スリル)とともに暮らしたほうがいいような気がします。
もちろん、大けがしたりしてしまうような危険は避けるべきですが、「危険」とはどういうことか、身体で覚えさせることも、オトナとしての大切な役割のような気がします。
身の回りの「危険」とうまくつきあいながら、それらを自分の支配下に置き、うまく操る術を身につけさせること。
「火は熱くてヤケドするけど、寒いときにはあったかいものだし、ゆらめく炎はとてもキレイ」
「高いところは落ちると痛いけど、眺めがよくて気持ちいい!」
「包丁はよく切れるから指を切ったら痛いけど、うまくつかって料理するのはとても楽しいし、おいしい!」
「危険なこと」も、その怖さを知った上できちんと操ればそれは人間にとって大きな助けになるし、楽しみにもなるのだ、ということが自然にわかっていく、そんな「楽しい家」にしていきたいと思います。
10年後、20年後、この家がどんなふうに変わっていくのか、いまからとても楽しみです。
我が家の「家づくり」はまだ始まったばかり。いま、やっと、スタートラインです。
・・・と、今日はいつもとはちょっと調子を変えて、引越ししたばかりの我が家の中で、「家」について思うところを書いてみました。
コメント
コメント一覧 (4)
「家」は住む前にすでに「完成」しているのではなく、住みながら、生活しながらその「完成度」を高めていくのだと思います。いろんな事を考慮しすぎて初めに思い描いていたものと全く違う形になっては、寂しいです。Kさんの想い何となく分かる気がします。
お家を見ていて、これからの楽しい暮らしぶりが思い描けるような、お二人らしい(よく知りもしない私が言うのはおかしいのですが)素敵なおうちでしたね。
今の生活があって未来があるのですから、その時々のライフスタイルに合わせて、家も一緒に成長していけばいいと私も思います。
ちなみに、うちの子供たちは大はしゃぎでした。子供も動物なので自分で「ここからは危険」と感じる力もあると思います。
ただ、4歳の長男が吹き抜けから足を下ろしてブラブラさせながら電球を蹴っていたので、さすがに「これはいかん」と思って一喝入れたら家中に響き渡っちゃって…失礼しました。
引越し後の何やかやでとても忙しく、コメントを書くのが遅れてしまいました・・・。
新居に住み始めて一週間が経ちました。まだまだ落ち着きませんが、ずっと愛着を持ち続けられそうな予感がする、とてもいい家になったと感じています。これからも楽しみは続きます。