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先日行われた「ふくしま住宅コンクール」で、我が家はなんと優秀賞を頂いた。
めでたいことだ。
最優秀賞は「該当なし」だったので、実質上の一等賞だ。

最優秀賞に選ばれなかった要因を受賞した建築家に訊くと、「外壁の色」とのこと。
「街並みとしての景観」といった観点からみて、「調和してない」との判断だったらしい。

確かに、我が家の外壁は真っ黒なので、やたらと周囲の建物から「浮いて」いることは間違いない。そういう意味では「調和」を欠いている。

「調和した美しい街並み」という言葉から僕がまっさきに思い浮かべるのは、飛騨の白川郷であったり、会津の大内宿や岩瀬湯本温泉といったところだ。
ヨーロッパの田舎のほうなども、どこへ行ってもそれはそれは美しい。
そこにある自然環境にうまく調和した、理にかなった構造の家がずらっと並ぶ様は、とても美しい。
それぞれの自然環境を知り尽くした人々が、長い年月をかけて街を創り、何代にも渡ってその場所を愛し、維持してはじめて、「美しい街並み」というものができあがるのだと思う。
こういった古く美しい街で共通して感じるのは、そこへ住む人々の「美意識の高さ」だ。

ひるがえって昨今の日本の住宅地はどうだ。

街の名前には、舌を噛みそうな訳のわからない横文字が踊り、あちらに南欧ふうのしっくい壁の家が洗濯物をベランダいっぱいに干していると思ったらその隣には数寄屋造りの純和風住宅がどでんと構え、さらにその向かいにはアーリーアメリカンふうな輸入住宅の庭で犬がキャンキャン言っている、といったあんばいだ。
こんな状況の日本の「新興住宅地」に、いったいどんな外観の家を建てれば「調和」できるのだ?

しかし、いつも思うのだが、「家」は完成したら終わりなのではなくそれが「始まり」なのだ。
この家が、今後どのようなかたちでこれからこの街と調和していけるか、ひとつ挑戦してみよう。

そのためには、まず住む人間に豊かな心、庭にはたくさんの花と緑だ。