画像


久々のお泊りソロツーリング。

家を出てすぐ、高速でひとまず会津方面へ。
クルマは多いものの、渋滞というほどでもなく、それなりのペース。

今回のテーマは、7月に帰国してからの約3ヶ月の自分を省みつつ、前を向くための思索に耽る旅。
などと書いてしまうと、なにやらコムズカシイ感も漂うが、まぁ、不甲斐ない自分へのお説教旅、というところか。

高速を走る道すがら、まずは自分のダメなところを徹底的にえぐり出し。
こんな出だしのツーリングって、なかなかないよなぁ・・・。
ヘルメットの中で、「あぁ、うぅ・・・」とうめきつつ、走る。
異論もあるだろうが、高速道路を走るのは、考えごとにはうってつけだ。
まっすぐ走っていればいいのだからね。バイクだから、食べながら運転もできないし、音楽もない。
走るための五感だけを適度に働かせつつ、集中して考える。

思えば、帰国してからの3ヶ月というもの、内に篭りすぎたのだ。
激変した生活(と、それをとりまく他者)に対する前向きな心が一切持てなかった。
過ぎ去った過去ばかりを眺め、それにばかり想いをめぐらせ、内へ内へと心はしぼんでしまっていた。
自分を取りまく新しい状況を、見ようとしていなかった。
見ようともしないまま、逃げようとばかりしていた。
逃げるところなんて、ないのに。
そして、無理すると、全てが裏目に出た。
そのダメっぷりのおかげで、自分以外にも迷惑をかけてしまったり。

会津坂下で降り、R252六十里越。
田子倉ダムまでは、のどかな川沿いの道。
前方の遅いクルマにひっかかる。
そのままゆっくり走って、考えごとに集中すればいいのに、つい、追い越してしまう。

自制心の欠如。衝動を我慢できない弱さ。

ダムから先は、イヤというほどの細かいワインディングが続く。
路面も悪く、浮き砂や染み出た地下水に注意しなければならない区間だ。
後ろから、ペースの速いオープンカーがぴったりついてくる。
譲ればいいのに、張りあってしまう。負けるものか。

冷静さを失えば、それは途端にライディングに表れる。
そんなとき、愛車はもはや自分の意思通りには走ってくれない。
ギクシャクした走りに、自分でウンザリする。

対話のない、一方的な感情の押しつけ。

愛車の声が聞こえてくる。
「おまえ、なにひとりでアツくなってんだ?残念ながらオレはそんな気分じゃないんだよ。
つーか、おまえ自分がわかってんのか?ほら、もっとゆっくり走ってみなよ。景色、キレイだぜ。」

冷静さを失った情熱は、ひとりよがり以外の何者でもない。
無理すれば、必ずしっぺ返しがくる。たまらない痛みを伴って。
そしてそれは、経験しないとわからない。

新潟に入る。小出。
道に、迷う。何回も通っているはずなのに。
現在位置がわからない。

行き先は?向かうべきところは?
先が見えないことへの不安と怖さ。

キンモクセイの香りで包まれた田舎道。
農家の匂い。田を焼く匂い。
「匂い」は、いつも鋭く記憶に訴えかけてくる。
以前、この匂いを感じたときから、いったい自分はどれだけ成長できたのだろう・・・。
返ってくる答えはいつも、「・・・」。

いい景色。カメラを取り出す。こんなときに限ってどうにもならない故障。
まったくツイてない。

里山ワインディングロード。
さっきの失敗を生かし、今度はきちんと相手と対話し、信じてみる。
懐疑心を捨て、心から信じきり、無防備な気持ちで自分の全てを自然なまま相手に委ねる。
すると、相手にもそれは伝わり、応えてくれる。
素晴らしい一体感が生まれる。
信じることの大切さ。そして、裏切らないこと。

R117、十日町。
単調な道が続く。ペースも遅いが追い越しもままならぬ。

退屈が続く。イライラが募る。
周囲への感謝を忘れ、やり場のない粗暴な気持ちでいっぱいになる。
平穏、平凡は悪、なのか?そうじゃないだろ。

野沢温泉。
近くの道は、今まで数え切れないほど通っているのに、立ち寄るのは今回が初めて。
とりあえず、地図に載っているキャンプ場を目指す。
若いころ散々苦労したので、最近は暗くなってからキャンプ場を探すのはできるだけ避けるようにしている。
明るいうちにキャンプ場を見つけ、テントを張ってからのんびりと温泉や買出しに行くのだ。
このほうが何かと安心できる。

・・・安心?

これは、オトナになって身につけた「知恵」なのか?それとも、単なる「堕落」なのか?
不安がそんなに怖いのか?そんなに、おまえの心は弱いのか?

弱い。あらゆる意味で、弱い。いくつになっても、変わらない。
だから、強くなりたい。

キャンプ場のおばさんは、とても親切だった。
もちろん、特別な意味などなにもない、飾り気のまるでない、親切。
だからこそ、価値があって、それはきっと相手にも伝わるものなのだ。

荷をほどき、テントを張って、軽くなったバイクで温泉街へと向かう。
思いのほか、観光客で賑わっていて驚く。
家族連れ、カップル、お年よりの団体、ライダーたち・・・。
みんな、思い思いに楽しそうだ。

「大湯」という共同浴場に入ってみる。
入口を入るとすぐにネコの額ほどの脱衣場。典型的無料温泉共同浴場といった趣だ。
当然、シャワーやボディソープ、シャンプーといった横文字関係のものは一切ない。
あるのは、蛇口とケロリン洗面器だけだ。
「あつい湯」と「ぬるい湯」に浴槽は分かれている。
「あつい湯」には誰も入っていないのに、「ぬるい湯」のほうはイモ洗い状態。
たしかに、「あつい湯」はあつく、とても入れたものではなかった。
すきまがあいた瞬間、「ぬるい湯」へ身を沈める。
お湯は、硫黄の匂いが強い、自分好みのお湯だ。

あぁ、いい気持ちだ。
なんだか、萎縮していた自分がほぐされていくようだった。

賑やかな温泉街を歩く。おみやげ屋をひやかす。
ひなびた食料品店で今夜の食料を手に入れ、酒屋で地酒とビールを。
店員さんとのちょっとした会話がうれしく心に響く。
いや、会話とすらいえない程度の、ほんの一瞬のやりとり。
ひとりだからこそ、いっそう強く感じる他者とのふれあい。

人はみんなずっと孤独で、生まれるときも、死ぬときも、必ず、自分独りぼっち。
だから、自分は大切で、でも、独りだけじゃ生きられなくて・・・。
堂々めぐり。

駐車場で、おばちゃんに声をかけられる。
「あのぅ、エンジンとかわかりますか?」
聞けば、クルマのエンジンがかからないという。
キーを受けとり、その軽自動車に乗りこんでみる。
エンジンは、なぜか一発でかかった。
何もしていないのに、おばちゃんは首をかしげつつも「ありがとう」と繰り返し言ってくれた。
何も、していないのに。

何の見返りも期待せず、素直な気持ちで、自然に何かをしてあげられる自分でありたい。
感謝されたいわけではない。誰かの喜ぶ顔が見たいだけだ。

キャンプ場に戻る。
日も落ちて、夕飯の時間だ。
となりにテントを張っていた方といっしょに飲みつつ、食べる。
同じく、ソロライダーのお方だ。聞けば、敦賀からとのこと。

いったい何年ぶりだろう、こういうの。
昔は、こんなのしょっちゅうだったのに、ずっと長い間経験してなかった。

見ず知らずのライダー同士、たまたま、全くの偶然で同じキャンプ場にテントを張り、酒を酌み交わす。
まさに、一期一会。旅の大きな醍醐味のひとつ。
遅れてもう一人、広島から来たという方も合流し、三人で夜がふけるまで酒を飲みつつ、話をする。
こういう出会いは、とてもうれしく、また、刺激になるものだ。
生まれも生き方も仕事も、自分と全く異なる人たち・・・。
自分がいかに小さな世界に閉じこもっていたのか思い知らされる。

また少し、自分がほぐされていく。

翌朝、5:00に目覚める。テントから出てみると、雨が降り出していた。
小雨の降る中、コーヒーを沸かし、テントをたたみ、荷物をまとめる。
お二方もそれぞれに、今日の仕度を始める。

別れはあっさりと。

「じゃあ、行きます。」
「気をつけて!」

この瞬間が好きだ。
そしてまた、それぞれが別々の場所を目指し、走り始める。

そう、走り始める。

雨が降っていても、やがて広がる青空を信じて、走る。
たとえいまが土砂降りだとしても、前へ走れば、きっとまた、青空はやってくる。

それを信じられる強い心が、いまの自分に一番必要なことなんだ。