画像


といっても、ちょっと違う意味で。

僕は靴の履きかたがヘタクソだ。
とても気に入っていたこの靴、気がついてみたら見事にカカトをすり減らしてしまっていた。

で、そのへんによくある、合鍵作りや靴修理をヒョイヒョイとやってくれるお店に持っていったら、
「あ~、こりゃあもうダメですねぇ・・・。ここまで減っちゃうと、カカトの高さ自体を低くしないとダメですわ」
というようなことを言われ、けんもほろろ。

あきらめかけていたところ、腕利きのお店があると人づてに聞き、ダメもとで持ち込んでみたわけである。
行ってみたら、そのお店、駅近くの小さな通りの角にある、看板もないような小さいところ。
中に入ってみると、2畳ぶんくらいしかないんじゃないの?というようなちんまりとしたスペースに、カバンやら靴やらが山のように積もっている。
で、そのまんなかに、カバンと靴に埋もれるようにして、ちょこんとかわいらしいおばあちゃんが。

気に入っていたものの、それを大切に手入れすることもないまま、無造作に愛情も注がずテキトウに履いて、すっかりダメにしてしまったこの靴。
お説教でもされてしまうのかと思いきや、ものすごく親切に、にこやかに説明してくれる。
どうやって元通りに直すのか、その方法やなんかを、ダメにしてしまった僕を咎めることもせず、にこにこ説明してくれる。ついでに、周りに積み重なっている他の靴なんかの修理についても説明してくれちゃったり。

「ちょっと時間かかっちゃうかもしれないけれど、だいじょうぶ?」

ええもう、好きなだけ時間かけてくださいよ。
直していただけるだけでもううれしいです。

という気持ちになってくる。この人になら安心して全てを任せられる、という気分になってくる。

きっと、このおばあちゃんは、若いころからずっと、酷使されたカバンや靴を、愛情を持って直し続けてきたのだろう。
まだ直ってもいないのに、すごくうれしい気分で、僕はこの靴をおばあちゃんに預けてきた。

そして、その靴が戻ってきた。
驚くほどきちんと元通りになって。

こうやって、永く大事に使うために、愛情をもって修理してくれる人たちを、僕は心から愛す。
ホンモノの職人さん。

モノの大切さを知り、愛情と自分の腕によって復元させ、人々に喜びを与える。
なんて、すばらしいことなんだろう。

と、ここまで書いてて、以前、長々と書いたこれを思い出した。
自分がほんとうに気に入ったモノだけを手に入れ、きちんと愛情をもって接し、ときにはプロに手入れしてもらいながら、ずっと、使う。
モノに対する姿勢というのは、こうありたい。


こんどこそ、大切に永く履こう。