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さて、ポンペイである。

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この日は、じっくりたっぷり見てまわろうと、まるまる一日を見学に充てることにした。
朝陽がまぶしいなか、ソレント駅からヴェスヴィオ周遊鉄道に乗って、いざ出発。

ところで、「周遊鉄道」などと聞くと、なにやらかわいらしい観光電車を想像してしまいがちだが、実際は、落書きだらけの生活密着型電車である。

ソレント駅を出ると、ハデにガタゴト揺れながら、この周遊鉄道、ちょっと意外なくらいの速さで走るじゃないか。
ほほぉ・・・、と感心していると、あっというまに約30分強でポンペイ到着。

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駅を降りれば、遺跡はもう目のまえ。
入口で入場料を払い、さっそく中へ。

といっても、なにしろひとつの街そのものがまるごと遺跡なのだから、途方もなく、広い。
何かの施設に「入場」するという感覚とは、まったく違う。

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西暦79年、ヴェスヴィオ火山の噴火による火砕流により、一瞬にしてまるごと埋まってしまった街、ポンペイ。
あまりにも有名な場所なので、くわしい解説をあらためてここに書くほど愚かなこともあるまい。

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それでもあえて、ボクがここに書いておきたいことといえば、ここでは、2000年も昔の人々の生活が、驚くほどリアルに感じられること、また、それによって自分の中の「時間」に対する概念というものが、激しく揺り動かされるということ。
ただ、それだけだ。

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「時間」というものに想いを巡らすとき、ボクらは状況に応じて、いろんなスケールを都合よく当てはめて考える。

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たったいま、ボクは、「2000年「も」昔の」、と書いた。

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それは、普段の「自分時間スケール」に基づいて出てきた感覚だ。
2000年も昔に、こんな知的な、現代となんら変わりのない生活を営んでいたなんて、信じられない!
そんなふうに、感じるわけだ。

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だけど、ちょっと違った見方をすれば、それはガラッと変わってくる。

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いまのところ、宇宙が誕生してから、約138億年といわれている。

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地球が誕生してからは、約46億年。

こういった「宇宙的」な時間スケールで考えてみると、「2000年」なんて、「ほんの一瞬」に過ぎなくなる。

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2000年「も」昔に、こんなふうに娼館があったり、

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2000年「も」昔に、こんな笑っちゃうような絵が描かれたり、

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2000年「も」昔に、こんなオシャレな居酒屋があったりしても、ホントは、なんらおかしくなんかないのだ。

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だけど、なかなかすんなりとは「ちっぽけ自分時間スケール」から抜け出せないボクは、ひとつひとつ、やっぱり、ひたすら驚愕するばかり。

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2000年「も」昔から、いまとおんなじようにワンコを飼ってたんだ。

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2000年「も」昔から、お客さんの目につく玄関フロアは、やっぱりキレイに飾りたてたかったんだ。

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2000年「も」昔から、インテリアは家主のセンスが問われる、工夫しがいのあるものだったんだ。

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2000年「も」昔から、共同浴場はみんなの憩いの場だったんだ。

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2000年「も」昔から、ひとっ風呂浴びたあとの冷たい水は気持ちよかったんだ。

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2000年「も」昔から、お金持ちはこぞって公共事業に寄付して、自分の評判を上げたかったんだ。

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2000年「も」昔から、上水道のインフラ整備は大切だったんだ。

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2000年「も」昔から、パンはみんなの大事な生きる糧だったんだ・・・。

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そして・・・、そんないまと変わらない暮らしが、ある日突然、一瞬にして、なくなった。

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いったい、どんな気持ちだっただろう。

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それを想ったとき、2000年「も」という時間スケールが、初めてボクの中から消えうせた。

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ふつうの暮らしが、何が起きたのかもよくわからないまま、一瞬にしてなくなること。

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それが、どういうことなのか。

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この人たちは、2000年の時間をあっさりと飛び越えて、リアルタイムな感覚としてボクに訴えかけてきたのだ。

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ひとりの人間の命なんて、ほんの数十年。

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それを、長いと捉えるか、ホンの一瞬と捉えるか。

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自分の命に残された時間は、絶対的にはすでに決まっているだろう。

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それを、どんなスケールで捉えていくか。

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願わくば、「長くて濃密な、一瞬」であれ。